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バブル景気が残した文化の結晶? - B'z『RISKY』

RISKY

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最近私の中でB'z再評価の波が押し寄せているのですが、中でもこの頃のB'z最強だったなーと思うのが、バブル景気真っ只中の時代。作品でいうとミニアルバム『Bad Communication』(89年)からシングル『LADY NAVIGATION』(91年)のあたりです。サウンドはTM NETWORKとクラブ文化を背景にしたギラギラのデジタルビート、歌詞は華々しい男女関係が主題と、今のハードロック志向のB'zとは180度真逆のパワーを発揮しています。


特にそのバブルパワーが頂点に達したのが、90年発表の『RISKY』。世間的にはB'z初のフルアルバムチャートNo.1&ミリオンセラー作、あるいは現在でもライヴで披露される「Easy Come, Easy Go!」が入っている一枚、という認識でしょうか。しかしこのアルバムから漲るエネルギーはまさにこの時代でなくては発揮できないものであり、セールス等では測れない重要性があると(わりと真面目に)考えています。


まず、サウンド面について。前述の通り、TM NETWORKからの影響が強いです。TAK松本氏がTMNのサポートをやっていたためこれは当然の流れなのですが、かくいうTM NETWORKもとあるバンドの強い影響を受けています。New Orderです。


TM NETWORKChildren Of The New Century」はこの曲から引用アリ)


結果的にB'z←TM NETWORKNew Orderと繋がったことで、偶然にも英国のクラブサウンド(に近いもの)をも内包することになった、この頃のB'z。モロにディスコな「VAMPIRE WOMAN」はもちろんのこと、ハードロックにも関わらずイントロが思いっきりテクノな「FRIDAY MIDNIGHT BLUE」や、「確かなものは闇の中」のムーディな間奏から突然飛び出してくる「ギュリンッ」という打ち込み音は、どうしてもNew Orderの遠い影響から逃れられなかったことを示唆しています。ちなみに『RISKY』の翌年にリリースされた「LADY NAVIGATION」には80年代後半から流行ったアシッド・ハウスの影響も若干あり、当時のB'zが少しずつ海外のクラブカルチャーを盛り込んでいっている様子が伺えます。


こうして80年代後半に栄えた英国音楽文化を(無意識的に?)作品に取り込んだB'z。しかし『RISKY』の凄いところは、UKのみならず、海の向こう側であるUSの音楽文化をも1枚のアルバムに集約したことです。


当時のアメリカといえば、Soul/R&B。B'zも歌詞にマーヴィン・ゲイの名前を出す*1など、割とこのジャンルには明るかったようです。おそらくこれもTM NETWORKと同様、敬愛しているアーティストであるAerosmithスティーヴン・タイラーからの影響なのでしょうが…。



88年のヒットナンバー、Bobby Brownの「Every Little Step」。派手めで時代性を感じさせる打ち込み&シンセ、そしてラップをねじ込んでくるあたりは「Hot Fashion -流行過多-」の曲構成に通じるところがあります。よりテンポを落とした「愛しい人よGood Night…」、「確かなものは闇の中」ではさらにアーバンソウルな部分が際立ち、最終曲「It's Raining…」は電話のフリしてなんとポエトリーリーディングにまで挑戦しています。うーん、すごいぞ、B'z。


こうしてUK/USと二大音楽大国のカルチャーを日本のメインストリーム音楽の文脈にぶち込むことに成功したB'z。しかし、インターネットもない時代に、はるか海の向こうの国(しかも2か国)の音づくりの技術を取り入れるのはかなり難儀なことだったと思います。一体どうやってそれを実現したのか?


答えは簡単。実際に行ってみること


このあたりはアルバム直後にリリースされたVHS(!)『FILM RISKY』で確認することができます。当時のB'zはチャート1位をすでに獲得しているとはいえ、まだ結成3年目の若手バンド。しかし、『FILM RISKY』で映し出される作業の舞台はなんとニューヨーク、そしてロンドンです。若手バンドの扱いじゃない!そして改めてクレジットを見ると、ミキサーにはスティービー・サラスやザ・パワー・ステーションらを手掛けたジェイソン・コーサロ。金掛けすぎです!!



Stevie Salas/Colorcode。「GIMME YOUR LOVE-不屈のLOVE DRIVER-」は明らかにこの曲を意識していますね。)


やはりこれだけ財力にモノ言うアルバム製作が出来たのは、音楽産業をも丸め込んだ日本全体の好景気があったからに他ならないでしょう。the telephonesが長年苦労して一昨年やっと海外レコーディング・有名エンジニア(アレックス・ニューポート)の起用を成し遂げましたのを思い出しましたが、それに比べたらなんともアッサリな海外行きです。しかもテレフォンズはニューヨークだけでロンドンは行ってませんし。『FILM RISKY』に映し出される、B'zの2人を取り巻くバブリーな環境は、今見ると軽く眩暈がします…。


FILM RISKY [VHS]

FILM RISKY [VHS]


サウンド面のことばかり長々書いてきましたが、歌詞についても押さえておきます。ただ押さえておきますとは言いつつ正直聴くなり読むなりすれば一発で分かるので、特に取り立てて書くことはありません(笑)。もうとことんバブルです。徹底的にバブリーです。しいて言えば、後半の「確かなものは闇の中」や「FRIDAY MIDNIGHT BLUE」でバブル景気の空虚さを感じさせるあたりがちょっと乙かな、と思います。


とにかく重要なのは、2013年現在、まともなアーティストでこれだけの歌詞を書けるのは稲葉さん本人も含め日本には存在しないだろうな、ということです。書けるとしたらゴールデンボンバーくらいじゃないでしょうか。つまり『RISKY』における歌詞は、日本のバブル景気の“記録”としても有効に機能しているわけです。もっというと、歌詞のみならず楽曲全体がバブルの“記録”です。財力にモノを言わせて結成後たった3年のバンドを海外に飛び回らせ、技術と機材に金をかけ、そうして出来た「時代」を象徴するサウンドに、これまた「時代」を象徴するリリックを乗せる。これは完璧な「記録作品」ではないですか!


B'zはこの後、バブルの終焉に向けて徐々に歌詞がバブリーな物質主義的なものから人間本位的なものに変わっていき、92年の『RUN』からはテクノ路線も完全にハードロック路線へと転向していくことになります。そしてバブルが完全に消え去った94年には『The 7th Blues』という、まさに不景気の入り口のようなモヤがかったアルバム(注・内容はとても良いです)をリリース。『RISKY』のころの時代が、まさしく一瞬の夢のようだったことを痛感させてくれます。


記憶や情報は流れ去ってしまうものですが、本や音楽など、後世に残り受け継がれていくものはこうして今になっても当時の文化や雰囲気を鮮明に伝えてくれるものです。しかも、「愉しみ」を一緒に与えながら。そう、『RISKY』って単純にとっても良くて、とっても愉しいアルバムなんです!もし「Hot Fashion」や「VAMPIRE WOMAN」がフジロック深夜のレッドマーキーで流れたら、ワタクシ大発狂しながら踊りまくるでしょう(笑)。


そう考えると、このアルバムを文化の“記録”と呼ぶのはあまりふさわしくないかもしれません。こっぱずかしい表現ですが、文化の“結晶”といったほうが正しいでしょう。Shine On You Crazy Diamond。何の脈絡もなくピンク・フロンド出しましたが、今回はこれでお開きです!B'z万歳!!

*1:92年作『RUN』収録曲「Crazy Rendezvous